~オフィス・店舗拠点戦略の今~ なぜビルオーナーも居抜き承継を歓迎し始めたのか
オフィス・店舗からの退去といえば、これまでは「原状回復工事を行い、基準階仕様スケルトン(ビルが定める躯体・基本設備のみの標準仕上げ状態)に戻して明け渡す」のが当然の選択肢でした。しかし2026年、企業の退去戦略は大きな転換期を迎えています。建設費・B工事費・原状回復費の高騰が続くなか、退去テナントとビルオーナー、そして次に入る後継テナントの三者にメリットをもたらす「居抜きカスタマイズ承継」が、新しい標準として急速に存在感を増しているのです。
本記事では、最新の市場データをもとに、なぜいま居抜き承継が注目され、ビルオーナー側までもがこれを歓迎し始めたのかを解き明かします。
なぜ今、居抜き承継が注目されるのか
居抜きカスタマイズ承継とは、前テナントが施工した内装・什器・設備を撤去せず、後継テナントが必要に応じて部分的にカスタマイズしながらそのまま引き継ぐ移転スキームです。退去側は原状回復費を圧縮でき、入居側は内装工事費を抑えて短期間で事業を開始できる。さらにビルオーナーは空室期間を最小化できる――三者の利害が一致するため、これまで例外的だったこの方式が、2026年は「主要な選択肢のひとつ」へと位置づけが変わりつつあります。
市場の前提条件が劇的に変わった
まず押さえておきたいのが、東京オフィス市場の需給構造の変化です。三鬼商事の調査によると、2026年4月時点の東京都心5区の平均空室率は2.20%、平均賃料は22,454円(管理費除く)/坪。コリアーズも2025年のオフィス賃貸市場で空室率が1.5%前後まで低下し過去最低水準に迫ったと指摘しています。コロナ禍の2021年6月に都心5区の空室率が6.19%前後でピークを打って以降、約5年にわたり需給は引き締まり続けてきました。

Aグレードビルではさらに極端で、JLLの調査では2025年第3四半期末時点で月額平均賃料は坪あたり37,042円(前年比+7.5%)、丸の内・大手町エリアの空室率は0.1%台と「事実上の満室状態」に近い水準に達しています。

「空室が出ればすぐ埋まる」――この市場環境こそが、居抜き承継を後押しする最大の追い風です。後継テナントを見つけやすくなった結果、退去テナントが内装ごと引き継いでもらえる確率が大幅に高まったのです。
建設費高騰が退去戦略を変えた
居抜きカスタマイズ承継が現実的な選択肢になった、もう一つの決定的な要因が建設コストの高騰です。
建設工事費は10年で約3割上昇
国土交通省の建設工事費デフレーター(2015年度=100)は、2025年8月時点で建設総合が130.9を記録。わずか10年で建設コストが約3割上昇した計算になります。

建設物価調査会の建築費指数(東京・2015年平均=100)でも、2026年3月時点で事務所(鉄骨造)が141.2(前年同月比+3.4%)、集合住宅(鉄筋コンクリート造)が143.3(同+5.5%)と、上昇トレンドに歯止めがかかっていません。

これは住宅やインフラだけの話ではありません。オフィス・店舗の内装工事費・原状回復費・B工事費にもダイレクトに反映されています。
オフィス・店舗内装工事費・原状回復費の現実(B工事除く)
近年のオフィス内装工事は坪20〜35万円、店舗内装工事は業態により坪50〜150万円という水準が一般的になりました。30坪のオフィスであれば内装工事だけで600〜1,050万円、什器を含めれば1,000万円を超える初期投資が必要です。デザイン性を重視する飲食店や高級物販店では、内装設備の総額が坪100万円を超えるケースも珍しくありません。

原状回復費も同様に上昇しています。一般的な中規模オフィスの坪単価は2〜5万円程度ですが、都心5区は郊外と比較して20〜40%高い傾向があり、大型タワービルでは坪4〜5万円、高級ビルでは坪10〜50万円となる事例も報告されています。さらに建築資材と人件費の高騰により、原状回復工事費が前年比10%以上上昇している物件も出てきています。
B工事費高騰が「退去判断」を直撃する
特に深刻なのがB工事費の高騰です。B工事はビルオーナー指定業者による施工が原則となるため、テナント側で相見積もりや単価交渉ができず、原状回復見積もりが想定の倍近くに膨らむケースも少なくありません。背景には、建設業の2024年問題(時間外労働の上限規制)による施工能力不足、職人の高齢化と人手不足、そしてAIインフラ・データセンター需要急拡大による建設市場の逼迫があります。
総務・管理部門の担当者にとって、B工事費の高騰は社内稟議を通すうえで大きなハードルです。「前回の移転時から坪単価が倍近くになった」という相談が増えているのは、こうした構造変化の現れに他なりません。 こうした状況下で、「原状回復ではなく居抜きカスタマイズで承継できれば、数百万から数千万円単位のコストを圧縮できる」という経営判断が成り立つようになったのです。
【2026年版】B工事費が高騰する本当の理由|2024年問題・人手不足・AI需要で建設コストはなぜ上がるのか?
見積りが高すぎる…その違和感には理由がある 「B工事の見積りが想定より大幅に高い」「指定業者の金額が妥当なのか判断できない」「前回の移転時と比べて、坪単価が倍近くになっている」 2…
ビルオーナーが居抜きを歓迎し始めた理由
かつて居抜き承継は、ビルオーナーから歓迎されない取引でした。資産価値の維持、ビル全体のグレード統一、トラブル時の責任所在の不明瞭さなどから、オーナーは「いったん原状回復してから新規募集する」方式を強く好んできた経緯があります。
ところが2026年現在、この風向きが大きく変わっています。理由は主に4つあります。
① ダウンタイム短縮による収益機会の確保
空室率2%台の市場では、後継テナントは「待っていれば来る」状態です。原状回復に2〜3か月、入居者の内装工事にさらに1〜2か月かかる従来方式に対し、居抜き承継であれば実質的に空室期間ゼロでバトンタッチが可能。月額数百万円規模の賃料機会損失を回避できるオーナーにとって、これは無視できないメリットです。
② 高騰する建設費による「再投資リスク」の回避
セットアップオフィス化(オーナー自身が内装まで仕上げて貸す方式)が増えていることからもわかるように、現在のオフィス市場では「内装の質」がテナント獲得の鍵です。しかし、建設費高騰のなかでオーナー自身が新規に内装投資を行うのは大きなリスクを伴います。前テナントが残した質の高い内装をそのまま活用できる居抜き承継は、オーナーにとっても再投資リスクを抑えられる合理的な選択肢となりました。
③ テナント獲得競争の質的変化
市場全体は引き締まっていても、企業側の選定基準は「すぐに入居できるか」「内装投資を抑えられるか」「ESG・サステナビリティに合致するか」へと多様化しています。スクラップ&ビルドの繰り返しではなく、既存内装の活用は環境配慮の観点からも社内決裁を通しやすい。オーナー側もこの流れに合わせ、居抜きを許容することでテナント候補の幅を広げる戦略を取り始めています。
④ セットアップオフィス市場拡大が示す方向性
日本能率協会総合研究所マーケティング・データ・バンクは、2026年度のフレキシブルオフィス市場が2,300億円規模に達すると予測しています。中小ビルから大規模ビルまで、区分フロアを「内装込みで貸す」方式は、もはや特殊なオプションではなく業界全体のトレンドです。居抜き承継はこの大きな流れの一部であり、ビルオーナーが受け入れる土壌は確実に育っています。

店舗市場でも進む「居抜きカスタマイズ承継」
こうした潮流は、オフィスだけにとどまりません。店舗の内装工事費は業態により坪50〜150万円と幅広く、デザイン性を重視する飲食店や高級物販店では坪100万円を超えるケースも珍しくありません。設備投資の規模はオフィスを大きく上回り、内装そのものがブランド価値と顧客体験を生み出す中核資産となっています。
一方で、繁盛店であっても経営者の高齢化や後継者不在により、閉店を余儀なくされる事例が増加しています。なかには連帯保証の問題で事業を畳むこと自体が困難なケースもあり、優秀なスタッフ、固定客、価値ある内装設備という「無形資産」が一夜にして失われていく――こうした現実は、地域経済にとっても大きな損失です。 店舗の「居抜きカスタマイズ承継」は、こうした無形資産を次の事業者へと引き継ぐ仕組みとして、オフィス市場以上の社会的意義を持ち始めています。スクラップ&ビルドではなく、価値を引き継ぐ――この発想の転換が、日本の繁盛店を守る最後の砦になりつつあるのです。
セットアップオフィス増加との関係
ここで整理しておきたいのが、居抜きオフィスとセットアップオフィスの違いです。
- 居抜きオフィス:前テナントの内装・設備を後継テナントが引き継ぐ。費用負担は借主側。
- セットアップオフィス:ビルオーナーが内装・什器を整備して貸し出す。費用負担は貸主側。
両者は出発点こそ異なりますが、「内装を活かして次のテナントへ」という思想は共通しています。実際、2025年第3四半期末時点で「BLUE FRONT SHIBAURA(Tower S)」のような大型新規供給物件が竣工後短期間で満床に至るなど、需要側は「内装が整っていて、すぐ使えるオフィス」を強く求めています。
内装工事が坪20〜35万円、什器が一人あたり15〜30万円かかる時代において、30坪のオフィスでこれらが不要になれば、それだけで約750〜1,000万円のコスト削減効果があります。居抜きやセットアップは、もはや「妥協」ではなく、コストと時間の両面で合理的な「主流の選択肢」へと位置づけが変わったのです。
原状回復しない時代は来るのか
では、これからは原状回復をしなくてよくなるのでしょうか。答えは「No」です。原状回復義務そのものは賃貸借契約の根幹であり、消えることはありません。重要なのは、その範囲と方法が多様化しているという事実です。
3つの退去シナリオ
2026年現在、オフィスの退去戦略は概ね次の3パターンに整理できます。
- 【A】従来型の原状回復:契約通りスケルトン状態または貸主指定状態まで戻して明け渡す。
- 【B】部分的な原状回復+居抜きカスタマイズ承継:内装の主要部分を残し、後継テナントが活用する部分以外を必要最小限で復旧する。
- 【C】完全な居抜きカスタマイズ承継:内装をほぼそのまま引き継ぎ、原状回復工事は実質的に発生しない(造作譲渡契約を別途締結)。

どのパターンが最適かは、ビル仕様・契約内容・後継テナントの有無・経営判断によって異なります。原状回復の概念は消えるのではなく、「全面復旧」から「適正な範囲での復旧」へと進化しているのが実情です。
見積精査の重要性は逆に増している
興味深いことに、居抜き承継が増えるほど、原状回復見積の精査スキルはむしろ重要性を増します。なぜなら、居抜き交渉が決裂した場合や部分的な復旧が必要になった場合、その範囲と費用が「適正かどうか」を判断する力が、退去戦略全体のコストを左右するからです。
「電気一式」「設備一式」といった内訳不明瞭な見積、貸主指定業者からの相場乖離した請求――こうしたグレーゾーンは、市場が居抜きへとシフトする過渡期だからこそ、見極めが必要です。
【2026年版】原状回復費用の相場はいくら?B工事が高い理由と適正価格の考え方
2026年は建設費高騰と人手不足を背景に、原状回復・B工事の費用負担が大きく変化しています。本記事では、RCAA協会の実例データと公的資料を基に、原状回復費用の相場感、B工事が高額…
重要なのは「原状回復するか」ではなく「適正な選択肢を持つこと」
2026年のオフィス・店舗退去戦略を整理すると、次のような視点が浮かび上がります。
- 空室率2%台・賃料23か月連続上昇というタイトな市場では、後継テナントを見つけやすい。
- 建設工事費デフレーターは2015年比+30%超。内装工事費・原状回復費・B工事費の全てが上昇基調。
- ビルオーナー側も、ダウンタイム短縮・再投資回避・ESG対応の観点から居抜き承継を許容するケースが増えている。
- フレキシブルオフィス市場は2026年度に2,300億円規模へ。「内装を活かす」発想は業界の主流に。
こうした構造変化のなかで、退去テナント側が取るべき姿勢は明確です。それは「原状回復するか、しないか」という二者択一ではなく、「自社にとって最も適正な退去スキームを、複数の選択肢のなかから選び取れる準備」を整えておくこと。
RCAA協会は、原状回復工事費・B工事の中立・公正な適正査定を通じて、企業の退去戦略を支援してきました。同時に強調したいのは、原状回復は「するべきもの」でも「しなくてよいもの」でもなく、契約・建物・市場・後継テナントの有無といった条件のなかで、最適解が一社ごとに異なるという事実です。
借主が原状回復見積を鵜呑みにせず、居抜きカスタマイズ承継・部分復旧・完全復旧の3つの選択肢を比較検討できる状態を確保すること。これこそが、建設費高騰時代における退去戦略の本質であり、当協会が一貫して訴えてきた「適正な選択肢を持つことの重要性」に他なりません。
2026年、オフィス・店舗の退去は「原状回復か、居抜きか」の対立構造ではなく、「適正な情報のうえで、自社に合った道を選ぶ」時代へ。RCAA協会は、その判断を中立的な立場から支援してまいります。
理事よりメッセージ
拠点戦略は、経営の要である
リアル拠点戦略は、企業の成長フェーズ、ターゲット層、働き方のコンセプトに直結する経営の要です。デザイン性が求められる店舗では内装設備の総額が坪100万円を超えるケースも珍しくなく、オフィスも「クリエイティブ・オフィス」へと進化し、ビジネスパーソンの創造性と会話が生まれるコミュニティの場へと役割を変えてきました。内装設備はもはや単なる「コスト」ではなく、企業の文化を体現する「経営資産」なのです。
いま経営者の方々から最も多くいただくご相談は人財に関するもの、その次に多いのが繁盛店の事業承継問題です。特にファミリー経営の事業承継問題は深刻で、「後を継いでくれる息子・娘がいたら…」というボヤキを多く耳にします。優秀なスタッフと固定客のファンを持ち、価値ある内装設備を備えた繁盛店であっても、高齢化により事業の存続が難しくなり、しかも連帯保証の問題で閉店すらできない――そうしたケースが現実に増えています。この課題解決こそが、明日の日本の命運を決める重要事項だと考えています。
「居抜きカスタマイズ承継」は、単なる退去テクニックではありません。優秀なスタッフ、固定客、そして価値ある内装設備という無形資産を、次の世代・次の事業者へとつなぐ仕組みでもあります。RCAA協会は、その橋渡し役を担ってまいります。
一般社団法人RCAA協会 理事
萩原 大巳
「見えにくいコスト」と「引継ぎリスク」を専門家連携で可視化する。
このたびRCAA協会は、ジャパンブリッジ株式会社と新たにアライアンスを締結いたしました。
ジャパンブリッジ社は、M&Aアドバイザリー・事業承継・対日投資支援などの領域に強みを持つ会社です。RCAA協会が持つ原状回復・B工事の適正査定ネットワークと連携することで、M&A・店舗撤退・移転支援まで含めた、経営課題への一体的なサポート体制を強化してまいります。
原状回復・B工事の見積もり、不安はありませんか?
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【出典】
三鬼商事/JLL/コリアーズ「オフィス市場データ」
国土交通省「建設工事費デフレーター」
建設物価調査会「建築費指数」
日本能率協会総合研究所「フレキシブルオフィス市場予測」ほか各種調査
投稿者プロフィール

- 理事
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【協会会員】株式会社スリーエー・コーポレーション 代表取締役CEO
・ワークプレイスストラテジスト
・ファシリティプロジェクトマネージャー
オフィス移転アドバイザーとしての実績は、600社を超える。原状回復・B工事の問題点を日経セミナーで講演をする。日々、オフィス・店舗統廃合の相談を受けている。オフィス移転業界では、「ミスター原状回復」と呼ばれている。
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